その32.名栗 白岩沢編


その悲しい出来事は、この小さな堰堤で起きたのでした。

アイツを求めて源流近くから十里ほど釣り下ってきた私は、
この堰堤の手前で、ついにその姿を発見しました。
川幅はさほど広くはなく、ここまでくればもう捕まえたも同然です。
右岸をマークして逃げ場をなくすと、
私は一歩また一歩、摺り足でアイツに迫っていきました。
追い詰めました。
もう逃がすことはありません。
しかし、私の心の片隅には過信もしくは慢心があったのでしょう。
微妙な女心を見抜いていなかった。
アイツの本当の気持ちを汲みとる優しさが足りなかった
私がにじり寄ると、アイツはさっと反転して堰堤下に身を投じたのです。
あっという間のことでした。
しかし、その一瞬に、私はアイツと目が合ったのです。
その目は涙で光っていました。
そしてその涙は、哀しみの色と歓びの色を半分ずつ湛えていました。
私はすぐにアイツの後を追いました。
しかし、そこにあったのは変わり果てたアイツの姿でした。
私は呆然と立ち尽くしました。
涙が止りませんでした。

原種山女:AR種(21cm)
私はアイツを抱き寄せました。
そして頭の中が空っぽになったまま、
冷たくなったその体をギュッとギュッと抱き続けました。

その傍らを、いつもと変わることなく川は流れて行きます……




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